駒込富士神社
富士塚を神体とした神社。本郷村の名主が天正元年(1573)現在の東京大学の地に駿河の富士浅間社を勧請したのが始まりです。寛永5年(1628)その地が加賀前田家の上屋敷となったため、現在地に移りました。近世には富士浅間神社といい、移転後には駒込富士と呼ばれました。
江戸期には富士山信仰が盛んで、富士の浅間神社にお参りに行く「富士講」が数多くでき、模造の富士山も造られました。 富士山に見立てた山の上に拝殿を配したこの富士神社も、江戸期の富士信仰の拠点の一つでした。寛文2年(1662)刊の「江戸名所記」以来、江戸の名所として知られ、特に毎年6月晦日から7月1日にかけて行われた祭礼には多くの人が集まったそうです。現在の文京区域は富士講中興の祖といわれる身禄(寛文11年-享保18年)が活動するなど、富士講が盛んでした。
社伝によれば延文年間(1356〜61)には富士塚とよび、大きな塚があったそうです。この塚は一説によると前方後円の古墳ともいわれています。(↓)模造の富士山と見立てて、登山道も富士の溶岩で造られた跡が石段の右側に残っています。現在の社殿の石段の右側に、大きく「奉納加賀鳶」と書かれた、まさかりの紋のついた石があります。これは縁の深い前田家(金沢藩主)の特設消防隊の加賀鳶が奉納したものです。
「一富士、二鷹、三なすび」という古川柳は、一富士は富士神社、二鷹は付近の鷹匠屋敷、
三なすびは良質のなすびが駒込で採れたことから詠まれたといわれています。
富士山の山開きである6月30日〜7月2日には登山の安全や豊作をねがい、山開きの例大祭が行われます。数多くの露店が立ち並び、夜9時まで賑わいをみせます。
所在地 | 文京区本駒込5-7-20 Tel:03−3823−7894 |
アクセス | 東京メトロ南北線・本駒込駅より徒歩8分 JR山手線・駒込駅 徒歩8分 ●地図 |