江戸ロマンを満喫 (本駒込)
駒込周辺には寺院や古社がたくさんあります。江戸の歴史や風俗を感じさせてくれる史跡をめぐりながら、江戸ロマンを満喫しましょう。
東京メトロ千代田線の根津駅から少し歩くと、徳川家にゆかりの深い根津神社があります。見事な権現造りの社殿は、重要文化財に指定されているほど。春にはつつじが咲き誇ることでも知られています。
神社の裏門から日本医大付属病院の脇を千駄木方面に抜けて団子坂に出ると、森鴎外の旧居、観潮楼跡があります。当時はここから東京湾がはるかに見えたとのことで、観潮楼と呼ばれました。鴎外はここに住んだ30年間に、「鴈」や「高瀬舟」などの名作を残しました。建物は昭和12年の火災と昭和20年の戦災により焼けましたが、旧表門の礎石、敷石や庭園内の老銀杏、幸田露伴、斎藤緑雨ゆかりの三人冗語の石などに当時の面影が偲ばれます。今では本郷図書館鴎外記念室となり、ゆかりの品々を展示しています。近くには、平塚らいてうなどが活躍した青鞜社跡もあります。
団子坂を上って、光源寺に立ち寄りましょう。江戸時代から駒込大観音として親しまれたところです。元禄年間に造られたという奈良の長谷観音を写した十一面観音は東京大空襲で焼失しましたが、平成5年に御丈6m余の御像として再建されました。境内に梅の巨木があることから、梅の大観音とも呼ばれています。毎年7月9日と10日には「四万六千日」の縁日・ほおずき市が開かれて、賑わいをみせます。
団子坂を抜けて、白山上の交差点を左に曲がると、円乗寺があります。ここは八百屋お七の墓がある寺です。天和2年の大火でお七の家が焼け、菩提寺の円乗寺に非難しました。お七はやがて家に戻りましたが、恋仲になった円乗寺の小姓山田佐兵衛に会いたい一心で付火をしたといいます。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年火あぶりの刑にされました。お七の墓は3基ありますが、中央は寺の住職が供養のために建てたもの、右は寛政に岩井半四郎がお七を演じたのが縁で建立したもの、左は近所の人が270回忌法要のために建てたものです。
浄心寺坂を上って、薬師坂を白山上に向かう途中で左に曲がると、白山神社につきます。天暦2年(948)、加賀の白山神社から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建され、後に現在の場所に移転しました。明治時代には准勅祭社として、東京十社の一つに数えらたところです。
6月には文京あじさいまつりが開かれ、白山公園と共に、多くの人があじさいを見に訪れる、あじさいの名所となっています。
本駒込駅の方に向かい、駅を過ぎてしばらく歩くと、吉祥寺があります。太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれています。徳川家康の時代に現在の水道橋際に移りましたが、明暦の大火で焼失して現在地に移りました。関東における曹洞宗の宗門随一の栴檀林がおかれ、多くの学僧が学んだところでもあります。第二次大戦でほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵だけが往時をしのばせています。
本郷通りに出て六義園に向かって歩き、駒込富士神社に行きましょう。江戸期には、富士山信仰が盛んで、富士の浅間神社にお参りに行く富士講が数多くでき、模造の富士山も造られました。 富士山に見立てた山の上に拝殿を造った富士神社も駒込のお富士さんとして親しまれています。江戸の名所として知られ、特に毎年5月晦日から6月1日にかけて行われた祭礼には多くの人が集まったといいます。現在も、6月末〜7月初めの山開きには露天が出て賑わいます。
本郷通りをさらに進み、六義園をめざします。元禄8年(1695)、五代将軍・徳川綱吉より与えられた下屋敷に柳沢吉保自らが設計し、7年かけて造りあげた回遊式築山泉水庭園です。吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園で、造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていました。国の特別名勝にも指定され、四季折々の美しい花や光景を楽しむことができます。
今回たどった道とスポットについては、こちらの地図をご覧ください。
東京メトロ千代田線の根津駅から少し歩くと、徳川家にゆかりの深い根津神社があります。見事な権現造りの社殿は、重要文化財に指定されているほど。春にはつつじが咲き誇ることでも知られています。
神社の裏門から日本医大付属病院の脇を千駄木方面に抜けて団子坂に出ると、森鴎外の旧居、観潮楼跡があります。当時はここから東京湾がはるかに見えたとのことで、観潮楼と呼ばれました。鴎外はここに住んだ30年間に、「鴈」や「高瀬舟」などの名作を残しました。建物は昭和12年の火災と昭和20年の戦災により焼けましたが、旧表門の礎石、敷石や庭園内の老銀杏、幸田露伴、斎藤緑雨ゆかりの三人冗語の石などに当時の面影が偲ばれます。今では本郷図書館鴎外記念室となり、ゆかりの品々を展示しています。近くには、平塚らいてうなどが活躍した青鞜社跡もあります。
団子坂を上って、光源寺に立ち寄りましょう。江戸時代から駒込大観音として親しまれたところです。元禄年間に造られたという奈良の長谷観音を写した十一面観音は東京大空襲で焼失しましたが、平成5年に御丈6m余の御像として再建されました。境内に梅の巨木があることから、梅の大観音とも呼ばれています。毎年7月9日と10日には「四万六千日」の縁日・ほおずき市が開かれて、賑わいをみせます。
団子坂を抜けて、白山上の交差点を左に曲がると、円乗寺があります。ここは八百屋お七の墓がある寺です。天和2年の大火でお七の家が焼け、菩提寺の円乗寺に非難しました。お七はやがて家に戻りましたが、恋仲になった円乗寺の小姓山田佐兵衛に会いたい一心で付火をしたといいます。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年火あぶりの刑にされました。お七の墓は3基ありますが、中央は寺の住職が供養のために建てたもの、右は寛政に岩井半四郎がお七を演じたのが縁で建立したもの、左は近所の人が270回忌法要のために建てたものです。
浄心寺坂を上って、薬師坂を白山上に向かう途中で左に曲がると、白山神社につきます。天暦2年(948)、加賀の白山神社から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建され、後に現在の場所に移転しました。明治時代には准勅祭社として、東京十社の一つに数えらたところです。
6月には文京あじさいまつりが開かれ、白山公園と共に、多くの人があじさいを見に訪れる、あじさいの名所となっています。
本駒込駅の方に向かい、駅を過ぎてしばらく歩くと、吉祥寺があります。太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれています。徳川家康の時代に現在の水道橋際に移りましたが、明暦の大火で焼失して現在地に移りました。関東における曹洞宗の宗門随一の栴檀林がおかれ、多くの学僧が学んだところでもあります。第二次大戦でほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵だけが往時をしのばせています。
本郷通りに出て六義園に向かって歩き、駒込富士神社に行きましょう。江戸期には、富士山信仰が盛んで、富士の浅間神社にお参りに行く富士講が数多くでき、模造の富士山も造られました。 富士山に見立てた山の上に拝殿を造った富士神社も駒込のお富士さんとして親しまれています。江戸の名所として知られ、特に毎年5月晦日から6月1日にかけて行われた祭礼には多くの人が集まったといいます。現在も、6月末〜7月初めの山開きには露天が出て賑わいます。
本郷通りをさらに進み、六義園をめざします。元禄8年(1695)、五代将軍・徳川綱吉より与えられた下屋敷に柳沢吉保自らが設計し、7年かけて造りあげた回遊式築山泉水庭園です。吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園で、造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていました。国の特別名勝にも指定され、四季折々の美しい花や光景を楽しむことができます。
今回たどった道とスポットについては、こちらの地図をご覧ください。